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続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

ノート論(補遺)本命は1冊

はてなブログ

続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

ノート論(補遺)

 

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1.ノートが何冊も。

2.ノートは一冊だけ。

3.基本のノートは一冊だけ。

 

伝説は、ノートの重要性を説くところから始まった。

cixous5.hatenablog.com

 

 旧ブログでは、ノートは基本的に一冊しか想定されていなかった。ところが、全国大会を目指すようになって、ノートが複数冊に増えるわ、ブログも2つに増えるわ、ファイルも増えるわ、てんやわんや、なんや。

 ここで、基本を確認しておく。手帳は何冊使いが正しいのか、と。

 

気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ (ソフトバンク文庫NF)

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 最近は複数の手帳を持つように推奨する論者も少なくない。それだけ世の中が複雑化しているからだろう。一口にプライベートといっても、幾重にも多重化されているのが、今の世の中だ。同様に、ビジネスにもいろいろある。私シュうぇッチマンも、複数の職場や複数の仕事を掛け持ちし、同時展開しているから、いくつもの手帳を持ちたい誘惑に駆られることは一度や二度ではない。加えて、アナログとデジタルという選択肢の広がりもあるから、なおさら。

 しかし、手帳をあれこれ持つと、結局、とっ散らかって、スケジュールが一元管理できなくないという点に苦しむことになるのだ。手帳はホームベースなのだから、ダベンポートが主張するごとく、一冊だけに絞るのが最善である。私シュうぇッチマンは、そう確信してやまない。どんどん、規格の統一されていないメモ用紙が増えていくオフィスを想像してみたい。ゾッとする!

 ノートも、同じこと。ノートの種類を増やすことは自殺行為に等しい。ただし、この場合のノートとは、ホームベースとなるノートの意だ。そこから派生していくノートは、この限りではない。

 そもそも、一冊のノートに絞るということが不可能なことくらい、小学生でも理解できる。国語・算数・理科・社会・漢字・自由帳・連絡帳、などなど。小学生でも、多種のノートを使い分けているのだから。

 しかし、小学生(大半の大人も!)には理解できないだろうが、基本となるノートは一冊かぎりなのだ。複数の種類が許容されるのは、派生するノートなのだ。

 私シュうぇッチマンは、全国大会に出場するに当たって、ノートの種類を増やした。けれども、基本となるノートは一冊のままだ。

 9:1の法則は、ここにも当てはまる。基本となるノートに9割を書き、そこから派生するあれこれを別のノートに記すが、それは分量はあったとしても、重要度においては、全体の1割の重みにしかならないものである。

 私シュうぇッチマンの全国大会用ノートは、各章各節ごとに1冊ずつがあてがわれる。けれども、基本となるホームベースのノートは一冊のみ。

 「二兎を追う者は一兎をも得ず」と「二者択一は選ぶな」の両立。そのために、このブログでは「9:1」の黄金比を死守するの覚悟。