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続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

将棋ソフト論(1) ソフト指しをやってみた

はてなブログ (略称:続ピリ将)

続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

将棋ソフト論(1)

 

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 正直に白状する。

 本当に1度だけなのだが、ソフト指しをしてしまったことを。

 

 私シュうぇッチマンは、かつては高潔な聖人君子と呼ばれる人物であり、こういう不正に手を染めるような子ではなかった。

 ところが、先日、あまりにも悪辣な、棋士と呼べないようなクズ同然のくそ野郎に出会ってしまったのだ。たまたまこちらの機嫌が悪かったこともあるのだろうが、こういう虫けら未満のカスにはソフト指しの実験に付き合ってもらってもよいのではないかという、よこしまな考えが頭をよぎり、100%クロに等しいクロと分かったので、法律違反ではないことを確認し、あえて実行してみることにした。

 とはいえ、かつては高潔であった私シュうぇッチマンのことだから、実行するにあたり、基準は下記のとおり、厳格に定めた。まず条件が3つ。

 

 1、客観的に、盤上盤外において共に、人格に著しい問題があると判断される場合。

 2、人間同士で対戦し、こちらが負けた場合。

  こちらが頑張って相手が負けた場合は、いかなる非人格者であろうが、復讐しない。

 3、相手がソフト指しでなく、実力がぬきんでている場合。

 相手がソフト指しであれば、こちらがソフト指ししても虚しいだけなので、ソフト先生のご指導を受けられて幸せと感謝しながら、あるいは、事故に遭ったのだと観念して仕方がないと、スタコラさっちゃん、退散する。

 

 要するに、相手が人間でありながら、明らかな過少申告者かつ愉快犯である(ネット上で検索し、彼が過少申告者であることの裏も念のため、取る。)と断定できた場合、2局目にソフト指しを試すということだ。

 なお、前提なのだが、試したサイトは、将棋倶楽部24ではない。ソフト指しが禁止されていないサイトであることを念のため、付け加えておく。

 そもそもの動機は、ソフトとアマ高段者の対局に、純粋に(純粋?)興味があったからだ。これはかなり前から興味があった。いや、率直にいう。この記事を書くためという目的も少しはあった。そう、ネタ切れなのだ。

 ただし、内容が内容だけに誤解を恐れる。慎重に書き進めていきたいが、大事なことは「最初からソフト指しはしない」というルールだろう。Rをきちんと相手に恵んであげていて、そのRを取り戻すためにソフトを使うというルールは強調しておこう。三戦、四戦して、成敗だ、懲悪だなどと称して、どさくさ紛れにRを巻き上げるなどということは絶対にしない。あくまでも引き分けで幕を引く。つまり、詐欺に遭って、その損失を取り返すことが悪なのか。こういうリクツである。

 原則的には、私シュうぇッチマンはソフト指しなどしない男である。99.9%しない。事実、昨年までは一度もやったことがない。全国大会が終わっても、多分やらないだろう。あくまでも、期間限定。

 先月、関西の将棋道場で、待ち時間に携帯電話(ガラパゴス!)をいじっていたら、あくまでも冗談なのだが、「兄ちゃん、カンニングすな」言われた。笑えない。いやな時代になったものだと、しみじみ悲しい。

 三浦弘行九段がカンニングを疑われ、佐藤天彦名人・叡王がプロ棋士羽生善治三冠ふくむ)のトーナメントを勝ち上がった末にPONANZAに敗れる時代である。だから、大原則はソフト指し禁止だし、読者諸氏にソフト指しをおすすめするわけでも決してない。ダメ、ソフト指し!

 

twitter.com

 

 しかし、ごくわずかな例外だが、ソフト指しをしてみた感触でいうと、相手は明らかにめちゃくちゃ強いやつである。こちとて、全国大会出場を決めたくらいの棋力はあるのだから。それをフルボッコにできる棋力というのは推して知るべし。人間ではない。サイヤ人。否、アマ強豪、奨励会員、元奨励会員、プロ、元プロあたりに絞られる。実際、ソフト指ししても、ほぼ互角に渡り合ってくるのだから恐ろしい。

 ちなみに、私シュうぇッチマンは、棋士性善説を信じていない。先生と呼ばれる人が皆、聖人君子だというのが性善説ならば、それは信じない。医者・政治家・教師、ろくなやつがいないのが、その証拠。99%は、どこか何かがおかしい。いや、悪人とまでは言わないが、奇人変人で、社会性が欠けている。

 もっとも、医者・政治家・教師・棋士には、聖人君子であってほしいという願望は抱く。だから、一握りでも本当にそういう聖人君子がいたら、心から尊敬する。けれども、最初から聖人君子だというのは論理の誤謬もはなはだしい。どんな人間も、スタートはただの人間なのであって、先生ではないし、聖人君子でもないのだ。

 ただ、それでも聖人君子だと思われていること、思いたいと思われているということは、社会的な信用といって、非常に大事なもので、一朝一夕では手に入らない、それこそお金では買えない財産であることも忘れてはいけない。イメージの損失は、金銭の損失以上に回復が容易でない。

 さて、話を戻す。いけないことだと非難されることを覚悟しているが、やってみると面白いのがソフト指し。いや、面白いというとさすがに語弊があるが、それは人間とコンピュータの思考の違いというものが興味深いという意味だ。他意はない。

 電王戦でも同じ感想を持ったが、ソフトの将棋は非常に筋がいい。対して、人間の将棋は筋がよくない。一言でいえば、こういう結論に達する。

 たとえば、はなはだ僭越ながら、佐藤天彦名人・叡王の将棋を評せば、端の狭く窮屈なところに角を打ったり、銀が退却したりという具合に、例外を志向する傾向が強い。ところが、コンピュータは、駒が前へ前へと進軍していく。初心者みたいなわかりやすさを体現している。

 つまり、人間は強くなっていく過程で、例外を発見することを常態化していくという性質のあることを意味している。盲点と言い換えてもいい。

 喩えていえば、人間は暗い夜道を運転する自動車のようなものだ。ごく一部にしか照明が当たっていない。だから、絶えず死角に脅えながら運転することになる。ところが、コンピュータは真昼のドピーカンの中で360度視界良好の中を突き進んでいく。同じ将棋を指していても、見ている景色は雲泥の差なのだろう。

 コンピュータは原理原則に照らした中での例外を見つける力を持っている。ところが、人間は原理原則を踏み外した中での例外にギャンブル的に誘惑されてしまうようだ。異筋・筋悪といっても、2種類あるはずで、本当の異筋・筋悪では将棋に勝てない。あくまでも良い手という前提があっての異筋・筋悪を探究しなければならず、本当の異筋・筋悪は排除しなければならないのだが、人間にはコンピュータからしたら全く水と油のものが近似してみえるという困った特性がある。

 ソフト指しした相手から得た感触は、明らかに上手指しであるということ。駒落ちの達人であることは間違いない。言い換えれば、ごまかしの技術に長けている。ある意味で、私シュうぇッチマンと同じタイプなので、断定できる。しかし、ソフト相手だと、その指し方がかえってマイナスになってしまう。

 無理な位取りはすかさず奪還されて、駒が次々と退却を余儀なくされる。玉や大駒や金銀は端や下段のロープ際へ追いつめられて、フルボッコにされるという展開に進んでいく。ちなみに、ソフトは穴熊だが、金一枚の穴熊で、銀と飛車角で盤面を制圧した。残りの遊び駒である金一枚が、最後に自玉にくっついていくという大山康晴十五世名人ばりの指し回しも見せて、心憎いかぎり。

 私シュうぇッチマン自身は、コンピュータとの駒落ち戦を数千局戦っているので、コンピュータのことは熟知していたつもりだが、他人と対戦するのを見ると、客観的に見られて非常に勉強になった。しかし、繰り返すが、ソフト指しを推奨するつもりはないし、私シュうぇッチマン自身も繰り返さないことを心に誓っている。

 プロ棋士も、これからはコンピュータを禁止にしたらよいと、個人的には考えている。将棋道の根幹に関わってくるので、運営面での大胆な次の一手が求められている。新しい将棋道確立のために、コンピュータとの関係を外すわけにはいかない。 

 

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