続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

勝負論(4) 将棋は漫才にあらず!

はてなブログ (略称:続ピリ将)

続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

勝負論(4) 

 

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変身。女子は得意分野ですよね。

あ、申し遅れました、最近かわいくなったねと言われるピリギゃルです。

 

女子って、いつも変身しています。

お洋服やメイク、髪型なんかで、いつも変身しています。

身体も男子とは比べようがないほど変貌を遂げます。

男子って、どうしてあんなに変わらないんだろう?

 

でも、内面の変身ということになると、難しいなあ。

というわけで、シュうぇッチマン先生がおすすめする本を読んでみました。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

 今回、初めて電子書籍をパソコンで読んだのですが、行の長さを変えることができるってことを知りませんでした。これはすごい。私の場合、一行の長さを短くすると、読みやすいみたい。

 ただし、この本は、はっきり言って、かなりの苦行でした。難しくはないけれど、難しい。

 これが最初の印象。難しそうな哲学者の割にはやさしい文体なんだろうけど、でも、やっぱ難しいって思っちゃいます。

 と、最初は膨れ面して読んでいたのですが、途中でこれは書き手さんの戦略であるらしいと気づきました。

 「全部戦略だよ」ということで逃げている感じがして、そこはなんとなくイヤなんですが、「なんとなくイヤなところを逃げていたら変身できないよ」と挑発されているので、そのイヤさを乗り越えようと我慢して読む感じになるんだけど、それも書き手さんの戦略で、それがイヤなんだけど。ああ、結局、千日手みたいに堂々巡り!

 レビューで、前半がくどいと書いてあって、それはとってもよくわかる。だけど、そのくどさに堪えろというのがこの本なのだから、それを言ったらお終い。というより、他のハウトゥ本のサービス過剰な感じも、それはそれでなんかイヤだと思っているので。

 このモヤモヤする感覚、何かに似ているなと思ったら、魔笛

 そう、モーツァルトの歌劇《魔笛》のこと。パパゲーノが、パパパパ言ってるやつ。旅をするんだけど、しゃべってはいけないと言われていて、その試練を乗り越えて、めでたしめでたし、みたいなあらすじ、たぶん。

 あの劇もよく意味が分からなくて、フリーメイソンがどうたらこうたらとか、調べ始めると、面倒なことになってくるんだけど、この本も、あの感触にすごく似ている。

 シュうぇッチマン先生は、最後の専門家向けのページを見ながら、ああ、やっぱりねとか何とかおっしゃっていましたが、ぶっちゃけ、私は前半より後半が役に立ちました。あ、言ってしまった。まあ、でも、格闘した結果だから、言ってしまって、いいですよね?

 ダントツで面白かったのが、欲望年表。

 「将棋が強くなりたい」から、「3手詰めが解けるようになりたい」になり、「5手詰めが解けるようになりたい」になり、「棋譜を最後まで暗譜できるようになりたい」になり、「初段になりたい」になり、「妙手が指せるようになりたい」になり、「女子の大会で優勝したい」になる。これがピリギゃルの欲望年表だけど、たしかに変身してきたなあと、ちょっと感動。ちなみに、最近は「将棋に限らず、もっと本質的に頭が良くなりたい」です。

 次に役に立ったのが、本の選び方。入門書を複数読むということは納得が行きました。シュうぇッチマン先生は、よく「棒銀四間飛車かという二者択一にはまってはいけないよ、両方勉強しなさい」とおっしゃっていましたが、広く浅く、著者によって違いがあることを知るのも勉強だったと思います。

 詰将棋も、同じ5手詰めでも浦野先生の問題は解けても、他の先生の問題が解けないということがよくありました。

 ネットや入門書ばかりじゃだめで、専門書が必要というのも、今ではよくわかります。

 あれこれ読みたくなるけど、「有限性」というのも納得です。広げていく感覚と、深めていく感覚の両方に、どう落としどころを見つけるか。下手をすると、将棋の本が増えすぎて、にっちもさっちもいかなくなってしまいます。

 勝負論ということでいえば、でも、この本はものたりない。自己内に限定したもの同士が対局するのが将棋なので、さらにその上の世界が見えてこなきゃ。お互いが変身してきて、向かい合って、対局の最中も変身し続けていて、対局が終わったら変身が完了したかと思ったら、また新たな脱皮へ向けて出発しているという、それが学習の継続かなと思います。この本で言われている以上に、将棋って複雑なんだな、と。

 何が言いたいか、こんがらがってきましたが、二人で対戦するのが将棋の魅力なんだろうなということです。つまり、将棋は漫才ではないということ。

 漫才はボケとツッコミだけど、将棋は「ボケとツッコミを兼ね備えた、それをメタで捉えている人」と「ボケとツッコミを兼ね備えた、それを以下略」の対決で、結果的に勝ち負けがつくけれども、本質は変身なんだよね。

 動かないわけにもいかないけれど、動きすぎてもダメ。将棋もそう。よくわからないけど、ドゥルーズって、結局、そういうことなんですよね?

 

動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学