続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

人間論(3) おさなごころ/うたごころ

はてなブログ (略称:続ピリ将)

続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

人間論(3)

 

f:id:Shouldgo:20161209174632j:plain

 

おさなごころ/うたごころ

 まえにもふれたが、わたくしシュうぇッチマンは、アイザック・スターンというヴァイオリニストのかなでる音楽を愛してやまない。

 

アイザック・スターン すばらしきかな、わがヴァイオリン人生

アイザック・スターン すばらしきかな、わがヴァイオリン人生

 

 

 きょうも、将棋の勉強をするとともに、スターンのヴァイオリンにみみをかたむけながら、どうしてわたくしシュうぇッチマンは、こうもスターンの音楽にこころひかれるのか、みずからにとうてみた。

 ちなみに、わたくしシュうぇッチマンは、スターンの最晩年の実演に接する機会があった。技術的にはおとろえているはずのスターンの演奏に、ひどく興奮したことをきのうのように、あざやかに、よくおぼえている。

 CDの演奏は、全盛期の演奏であるけれども、かれの音楽のねっこは、なにもかわらない。それがなんなのか。いままで、きちんとかんがえてこなかった。

 しかし、きょうは全国大会もおわったし、連休でようやくやすみをえて、ゆとりがあったからだろう。つらつらとかんがえてみて、おもいあたるところがあった。

 格好つけていないから、だ。

 人間は、すくなくとも、わたくしシュうぇッチマンがであってきた人間は、みんな、程度の差こそあれ、格好つけであった。もちろん、そこにはわたくしシュうぇッチマンも、ふくまれている。しかし、スターンという音楽家ひとりは、そういう格好つけがない。

 ヴァイオリニストという種族は、基本的にヴィルトゥオージティ、つまり超絶技巧を魅せつけることが要求される。ところが、スターンには、そのような虚栄がかけらとして見られない。これはおどろくべきことではないだろうか。

 スターンは、宮崎国際音楽祭の公開リハーサルで、幼児が難曲をひくのをきいて、ヘンデルを勉強するようにアドバイスした。ヘンデルなんて、初心者がひく曲だ。わたくしシュうぇッチマンでもひける。

 いや、そうではない。ヘンデルは、いまでこそ、ヴァイオリニストたちはみむきもしないが、じつは非常に難しいのだ。基礎だから。基礎中の基礎だから。基礎をあなどると、いたいめにあう。それは音楽にかぎらず、たとえば将棋とて、おなじこと。

 スターンは、わかい音楽家たちに愛されてきた。なぜかというと、かれはいつもわかい音楽家たちにアドバイスすることをおしまなかったからだ。わかい音楽家たちに、いつも関心をもちつづけたからである。わかい音楽家たちは、スターン先生に感謝しているからだった。

 スターンは、ほかのヴァイオリニストたちとちがって、デビューはおそく、しかも、たいした評価をうけなかったという。本人は、それを反省して、もっと勉強しないといけないと、ひきしめたというエピソードをきくと、のちのかれの活躍をしっているだけに、おどろく。

 そんなかれのヴァイオリンは、テクニックをみせびらかすヴァイオリンではなく、おさなごころ=うたごころにあふれる音楽のかずかずをつむぎだすことに成功した。

 たとえていうと、おかあさんのつくった、ぐのおおきな、愛情たっぷりの素朴なカレーライスのような音楽。

 かれの音楽だけは、てで、じかに、ふれることができるようなきがしてくるのは、わたくしシュうぇッチマンだけだろうか?

 将棋のブログなのに、100%音楽のはなしをして恐縮だが、しかし、これがわたくしのいつわりなき人間論である。

 四段になると、将棋にかつのもひと苦労だが、きょう、ひらきなおって、みずからのもともとうまれもっている才能だけで将棋をさそうとおもってさしたら、激闘のすえ、かつことができた。

 ひさしぶりに、こどものころのように、のびのびと、たのしく将棋をさすことができて、とってもうれしかった。