続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

上達するための箴言集・格言集(0047)メタ視点と相互性

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続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

上達するための箴言集・格言集(0047)

 

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0047 メタ視点と相互性を大事にする。

 

 ベテランの方から、最近の若い人は営業で使えないという愚痴をよく聞かされます。

 雑談なしに、いきなり本題に入るから、相手の逆鱗に触れるのだとか。

 別に、最近の若い人にかぎった話ではないような気もしますが、他者視点、顧客視点を持つということは、きっかけがなければ、なかなか難しいものなのかもしれません。

 自分がいちばん大事。

 エゴイズムと言います。

 言ってしまえば、『こころ』の夏目漱石も、『マネジメント』のP・ドラッガーも、このエゴイズムがテーマだったわけで、簡単に克服できるような代物ではなく、むしろこの迷宮から抜け出せないことに自覚を持つだけでも立派だと思います。

 他者視点が持てない人の特徴は、周囲との線引きに問題があると考えています。

 精神分析学者の香山リカさんによれば、日本人の自己中心的な性格は、パブリックな場であったり、プライベートな場で発現するとのこと。

 反対に、その中間領域では、読み過ぎというほどに「空気」を読むのだとか。

 ということは、その中間領域をいかに広げてあげるかが課題なのではないでしょうか?

 隣の住人は他人という都市的な感性は、もはや田舎にまで広がりつつある今日、

人類皆兄弟的な宗教的感性からは、はるかに遠ざかってしまいました。

 まさしくニーチェのいうところの「神の死」が完成したということでしょう。

 私シュうぇッチマンは、神というものにそれほど熱心に関わってはいませんが、日本人の多神教的性格を逆手にとって、「神様」を乱造することがあります。

 〇〇という分野を教えるときには、必ず「〇〇の神様」を持ち出します。

 将棋なら、「将棋の神様」ですね。

 別に神様でなくてもよいわけです。

 しかし、メタ視点は必ず必要だと考えています。

 なぜかというと、それが他者視点に密接に関わっていると考えるからです。

 かつて福沢諭吉は主著『学問のすすめ』の冒頭に「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」と書きました。

 明治時代の人は神ではなく「天」という言葉をよく使いましたが、これはメタ視点をつくることで、人の平等性を原理として立てたわけです。

 『学問のすすめ』は、先の冒頭につづき、人の世の現実の不平等を紹介し、これをなんとかするために学問の必要性を説くというふうに進んでいきます。

 実に見事なロジックで、多くの人々がこれによって学問に打ち込むようになったのですから、すばらしいと思います。

 エゴイズムで有名な作家・芥川龍之介の「蜘蛛の糸」などは、お釈迦様の視点が効いているので、やはりメタ視点を大事にした作家だったのだなと感心させられます。

 ここは宗教的な議論をする場ではないので、さしあたって、神でもお釈迦様でも天でも構わないことにしますが、メタ視点を持つことによって、相手のことを思いやれるようにするイメージトレーニングを紹介します。

 まず頭の上に蜜柑が浮いていると想定してください。蜜柑である必然性はないので、代わりに目玉のおやじを浮かべても構いません。

 あなたは潜水艦みたいなものなので、この蜜柑の視点を大事にしてください。蜜柑はどこまでも高く浮かべることができます。

 蜜柑の高度を高めれば高めるだけ、人類皆兄弟の境地にたどり着きます。下げれば下げるだけエゴイズムに近づきます。

 これだけです。蜜柑を頭の上に浮かべるイメージだけで、将棋がおもしろいように勝てるようになります。

 ウソだと思ったら、実践してみてください。

 ただし、将棋のときだけでなく、日頃から心がけることがポイント。

 付け焼き刃では通用しません。

 

 

 そういえば、蛇足ですが、「相互動詞」という動詞があるのを、ご存知ですか?

 〈結婚する、喧嘩する、議論する、相談する・・・・・・〉

 要するに、ひとりではできないことを表しています。

 必ず「~と」という相手が必要となる動詞群を相互動詞と言います。

 仮に「~と」を省いても、「~と」が含意されてしまいます。

 「弟と喧嘩する」

 「弟と一緒に喧嘩する」

 前者は誰と喧嘩するかが明確ですが、後者は誰と喧嘩するかが書かれていません。

 けれども、必ず誰か相手がいるということは明確ですね。

 ゴチャゴチャと前置きが長くなりましたが、言いたいことはひとつ。

 「将棋を指す」や「対局する」は、相互動詞だということ。