続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

上達するための箴言集・格言集(0048)「仕方がない」を

はてなブログ (略称:続ピリ将)

続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

上達するための箴言集・格言集(0048)

 

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0048 「仕方がない」を超克する。

 

仕方がない - Wikipedia

 

 日本人の口癖に「仕方がない」があります。

 本能寺の変で、明智光秀に追い詰められた織田信長は「是非も及ばず」と呟いたと伝えられていますが、この「是非も及ばず」は「仕方がない」と同義と言ってよいでしょう。

 この「仕方がない」に着目して、日本文学を論じたのが首藤基澄でした。

 

「仕方がない」日本人 (和泉選書 163)

「仕方がない」日本人 (和泉選書 163)

 

 

 有名なのは芥川龍之介の「羅生門」論だと思うのですが、老婆の「仕方がない」生の論理を下人が逆用するのが「羅生門」のおもしろさなので、今も刺激的な論と言えそうです。

 芥川文学は、エゴイズムをどう捉えるかがポイントとなるので、そういう意味でも、この見方は興味深い。

 ただし、「仕方がない」を日本人に限定する必要はないとも思いました。

 もちろん、首藤も金子光晴の「没法子(メイファーツ)」なども取り上げていて、狭義の日本にとらわれてはいません。

 しかし、次のブログなどを読むと、もっと視野を世界へ広げたくもなるのです。

 

webcache.googleusercontent.com

 

 このブログにある「没法子」が世界一うつくしい言葉だという話や、バカボンのパパの「これでいいのだ」も「没法子」の仲間だという話などは、本当にすばらしい。

 ニュアンスの違いこそあれ、「仕方がない」や「没法子」、「これでいいのだ」、「さだめじゃ」「やむを得ない」「是非もない」「どうせ」は、日本という国境を越えて、アジアに広がっていると考えてよさそうです。

 いや、アジアだけに限定してよいのでしょうか?

 

 「俺になにができるって。ただの百姓なのに。」

 

 これはパウロフレイレの『被抑圧者の教育学』で紹介されている一介の農民の言葉。

 読み書きすら儘ならず、搾取された被抑圧者の言葉は、多くの気づきを与えてくれます。

 ここから聞こえてくるのは「宿命的な」諦め、つまり「仕方がない」という呻きですが、これがはたして「宿命的な」のかどうかを根本から問い直すのがフレイレの重要な仕事です。

 

被抑圧者の教育学 (A.A.LA教育・文化叢書 4)

被抑圧者の教育学 (A.A.LA教育・文化叢書 4)

 

  

被抑圧者の教育学―新訳

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パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

 

 

 フレイレは、この諦めを「沈黙の文化」と名づけました。

 被抑圧者は置かれた状況を「仕方がない」以上に言語化することができないために、沈黙を余儀なくされるわけです。

 そこでフレイレは銀行型教育を批判し、課題提起型教育を提唱しました。

 これは要するに世界を変革する教育スタイルと言ってよいでしょう。

 世界は所与のものとして静的(スタティック)に存在するという考え方ではなく、世界を動かせるとする動的(ダイナミック)な考え方に立脚すれば、「仕方がない」という限界の先の扉が開き、前へ進めるわけです。

 もう一つ、フレイレのすごいところは、主観と客観を脱構築してしまったところ。

 フレイレは、言語と身体の二重体をいわば基本の単位として思考するので、主観と客観という二項対立から自由になれたのだと思量します。

 言い換えれば、頭でっかちの眼高手低型ではなく、身体と言語の一体/ズレに注目することで、世界を変革しうる高度な主体を想定することができた。

 またしても、ゴチャゴチャと前置きが長くなってしまったのですが、言いたいことは、一つだけ。

 将棋は頭で指すのではなく、身体で指すものだということ。

 要するに、わかりやすく言い換えると、

(1)諦めてはいけないということ

(2)言語化する努力を怠らないということ

(3)主観的な読みを放棄するということ

(4)定跡の丸暗記という銀行型教育ではダメだということ

 です。   

 

  

 

対話―教育を超えて I.イリイチ vs P.フレイレ (1980年)

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グラムシとフレイレ: 対抗ヘゲモニー文化の形成と成人教育

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パウロ・フレイレを読む―抑圧からの解放と人間の再生を求める民衆教育の思想と実践

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