続ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

将棋の全国大会に出場することになった成金アマの活躍やいかに

上達するための箴言集・格言集(0091)きみすい

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続ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

~実力四段・五段を目指して(シュうぇッチマン全国大会の巻)~

上達するための箴言集・格言集(0091

 

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0091 君の膵臓をたべたい

 

 ブログという媒体を、連続して読む人は少ない。

 奇特な人、マニアと呼ぶしかないのでしょう。

 とはいうものの、この新ブログの方は、読者数は将棋ブログにしては多い。

 また、アクセス数も、その8割くらいはあるようです。

 そのような方はお気づきでしょうが、ここ3日間、きみすいにハマっています。

 はっきり書きますが、読書家を自負する私シュうぇッチマン。

 人生で一番感動させられました。

  

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

 

 一昨日、漫画を読みました。

 漫画が一番だと思いましたが、やはりその通りでした。

 昨日、映画を見に行きました。

 映画が三番だと思いました。

 といっても、浜辺美波さんの大ファンになってしまったので、けなしているわけではなく(厳密にいえば、けなしているところもありますが、まあ、女子高生あたりに媚びた商業映画なんて、そんなものでしょう?)、映画は映画で良さもありました。

 その後、ようやく原作を読みました。

 原作は二番ですが、当然ながら一番というところもありました。

 原作はやはり原作。

 源泉かけ流し、原石ならではの良さもたくさん秘められていました。

 あくまでもネタバレしない方針なので、詳しくは書けません。

 けなそうと思えば、いくらでも、けなせます。

 すべての選択肢がテーブルにある。

 とすれば、選択すれば、そっちへも行けます。

 けれども、褒めろと言われれば、そっちへも行ける。

 断っておきますが、低俗的な意味で感動したのではまったくありません。

 素直でないと言われるかもしれませんが、そんなに涙腺は弱くない。

 というより、そもそも私シュうぇッチマンの感動は涙腺と連絡がないのです。

 強いていえば、膵臓で感動するタチなので。

 それでは、何に感動したのか。

 これだけ高尚な内容を、これだけ低俗な器に盛れたことに感動しました。

 低俗なレベルだと、これを携帯小説ライトノベルの延長として捉えるでしょう。

 事実、映画はその路線でした。

 また、低俗なレベルだと、これをハルキストたちが深読みするのでしょう。

 実際、原作の文体はそのような仕掛けがあちこちに施されています。

 しかし、それはあくまでも意匠。

 言い換えれば、皮膚レベルでしかない。

 私シュうぇッチマンが人生の中で最も揺さぶられたのは、そんな表面的なレベルでは断じてありません。

 作者の住野はるがどのような人物で、どのような出自で、どのような読書体験を持っていて、どのような教養の持ち主なのかはまったく存じ上げませんが、この小説を最も喜んで読む人間は、私シュうぇッチマンのような【?????】をおいて他にないと確信しています。

 

 今日は将棋とは関係ない話題。

 いや、そうでもないか。

 この小説、将棋小説でもあるのですから。

 

 それに、この作品と出会って、私シュうぇッチマンは将棋、無敗です。

 お盆でいつもより将棋指す人口が増えたにもかかわらず。

 いや、いつもより弱い人が増えたのかな。

 藤井先生、といっても猛九段のほうですが、がいうように、読書すると将棋が強くなるという説を私シュうぇッチマンは力強く推したいと思います。

 

 今から、十数年ぶりにウンベルト・エーコを読むつもり。

 このお盆は活字から離れようと漫画を買ったのに、かえって活字に婬してしまいました。(将棋は朝6時から棋譜並べをするのと、夕方にネットで対局するだけ。うわははっ。)

 

ウンベルト・エーコの小説講座: 若き小説家の告白 (単行本)

ウンベルト・エーコの小説講座: 若き小説家の告白 (単行本)

 

 

 この本の帯には、こうあります。

《文学とは、私が思うに、ただ単に人を楽しませたり慰めたりするだけのためのものではないのです。もっとよくテクストを理解したいと読者に思わせ、二度あるいは何度でもテクストを読ませるように、読者を挑発したり誘ったりすること。

それも文学の目指すところなのです。》

 まったくそう思いますし、私シュうぇッチマンの好奇心を満たしてくれる一言です。

 文学もそうだし、楽譜でも、棋譜でも、必ずそうあるべきだと信じています。